未来を語る寄り合い「ビジョンラボ」、シーズン2がスタートしました。
最初のセッションは2016年9月21日(水曜日)@PlanT Project room 02。
「ビジョンラボ」には、いろいろな場所で、いろいろな立場で活動する人々が集まります。毎月1回PlanTで行われるセッションでは、未来へ向けたいろいろなテーマで議論を重ね、ウェブ上のプラットフォームで認識や情報を共有しながら、新しいアイディアを蓄積して行きます。その中からポロリと、次に取組むべき課題が転がり出して、そこから新しいアクションが始まる、ビジョンからアクションまでの創発装置を目指しています。
ウェブ上のプラットフォームでは、蓄積された個々のアイディアが化合しあって集合知が形成されるのを目指す。このプラットフォームには、PlanTでのセッションだけではなく、日々それぞれの活動の中で考えたことや感じたこと、発見したことなども集めることができます。メンバー個々の多様性に止まらず、発想する環境も多様な、さまざまな視点の加わったアイディアが蓄積されることを狙いとしています。アイディアは化合物。化合する場に溜まる素因が多様であるほど、新しいアイディアが生まれる可能性が高くなります。
2016年の春にスタートしたとき、ビジョンラボは「ロボットと一緒に働く未来・暮らす未来」、「ウェルネス・健康に暮らす未来のかたち」というテーマから取りかかりました。科学技術と社会の発展が自然に組み合わせられ、みんなが健やかに暮らすことのできる社会と、そこにある産業の形を仮想することから始めたのです。ロボット、IoT、AIなどの先端技術や情報技術から、医療、生命科学、地域の形や共同体、レジリエンスとサスティナビリティ、具体的に直面する家庭や家族の在り方まで、これからの社会の構成要因となるさまざまな観点で、たくさんのアイディアが出てきたのでした。
世界は常に変化しているものですが、現在は、とりわけ大きな転換期にあるのを感じます。産業、経済、国家や社会制度、数百年かけて構築されて来た仕組みが、臨界点を超えたように大きく変わろうとしている気配を、身近なところにも世界の出来事にも見て取ることができます。こんなとき、これまで当たり前に思っていた概念をひっくり返してみると、そこに新しいアイディアが現れて来るかもしれません。ビジョンラボのシーズン2は、産業と人の暮らしをひっくり返してみることから始めてみました。
テーマは「2050年のライフスタイルを想像する」。そこは遠い未来なのか、もうすぐやって来る近未来なのか。自分たちの世代と、自分たちの次の世代が暮らしているであろう未来。見えそうで見えない、わかるようでわからない未来のことを、みんなで想像してみました。あちこち飛びまわる複雑な議論をつぶさに書き記すのは無理ですが、およそこんなことを話し合っている、というところで、アイディアの流れをまとめてみます。
最初に出てきたのが、国家の存在意義が希薄になっているということ。やはり、みなさん感じているようです。国家の代わりに企業が台頭して、今まで国家が行っていた大規模で公共的な事業を企業が行うようになる。国家は、地縁や血縁を根拠とするゲゼルシャフトが集積したものでありながら、利益や機能を根拠にしたゲマインシャフトに類する。その2つの共同体要因が高次に組み合わせられた第3の共同体、あるいは現在の国家とは逆の成立経緯による、本当に必要とされる国家の出現が、現在の世界の様子を見る限り、近いうちに必要になりそうです。
大きな企業が、現在のような他者を貶める資本主義を指向し、秘匿を前提とした排他的な利益活動を行っている限り、国家に代わることはありえませんが、もし、本当の社会性を具え、社会を包摂する能力を持った大企業が現われたら、機能停止した国家に代わって、それぞれのコンピタンスに合わせて他の企業と協調しながら、新しい共同体を形成して行く牽引力を持つかもしれません。
それから、やはり登場するのがAI。未来のライフスタイルを形づくる要素としてAIは欠かせない存在です。ただし、AIの登場で、スティーブン・スピルバーグのSF映画のような世界が顕れるか、ということになると、ちょっと違う。AIや半導体があらゆるものに組み込まれ、ネットで接続され、本来は見えないものごとをVRで眼の前に見ながら暮らしたりするのですが、そんな暮らしの風景自体は、現在あるものとそれほど変わらない。
直前の2045年に、コンピューターが人間の能力を上回るシンギュラリティがやって来る、という予測があります。合理的に考えると、そのとき、人間とAIが分捕り合いではなく協力し合っている未来の方が想像しやすい。AIは、あくまでも人工であり、現在でもそれに感情を持たせようとしているように、人と協調し合うものとして人工されて行く。現在すでにテクノロジーのスピードは人間を上回っていて、社会は処理しきれない膨大な情報を前にあっぷあっぷしているのですが、それを手助けしてくれるテクノロジーもまた研究が進んでいます。新しいテクノロジーはいろいろな問題をもたらしますが、それと同時に、その問題を解決したり、工夫して乗り越えて行くのもまたテクノロジー。テクノロジーは人間の重要な能力のひとつなのです。
その中で、「社会や産業は一人勝ちの理論で動くものではなくなる」という考え方が印象的でした。現在すでに一部で起きていることですが、高次の知性による共同体では「勝ち組・負け組み」というような野蛮な考えは消滅し、相互尊重を前提とした競争と協調による発展が見られるようになっています。それは、最大多数の最大幸福というようなことでもない。みんなが相互尊重の上で相乗的に幸せになる考え方。土地を所有して農耕を始めた人類は、飢餓を経験し、そこから独占と共有の2通りの精神が芽生えました。以来ずっと、この社会では独占の方が表立って進んで来ましたが、共有の考えは常に理想・理念として存在し続けています。インターネットによってもたらされた「シェア」「オープン」「フラット」の思想を、我々の社会は、共有の理念まで高めることができるでしょうか。
人口構造が推移する中で、それぞれの地域にさまざまな要因があり、すべての人々が飢餓を回避できるかは途方もなく複雑な問題。議論は、産業の在り方から食料とエネルギーの問題へと移ります。人口と食料、エネルギーの問題には地球規模の気候変動の問題も関係してきます。
食料には栄養の問題があり、人工栽培植物や人工肥育畜類の栄養貧弱化には、人類の存亡に関わる問題も孕むことになります。医療も大きな問題です。再生医療や遺伝子医療から日常的な医療の意味まで、次々と見えて来るものごとを踏まえながら、社会の多層に渡って共有できるビジョンを持たなければならないところにある。
今は、テクノロジーの進化に比して社会の精神性が追いついていません。自分たちの眼の前にあるこれらのものごとを通して、価値観という表層だけではなく、その根源にある意義について、社会全体で、もっともっと考えなければならない段階にあるのだと思います。近代が始まった時代には知らなかった多くのことを、現代の社会は知っています。人間は、支配と被支配しかないような単線的な存在ではないということが明らかになっています。けれど、現代の社会の根源には依然として資本主義黎明期の進歩主義的な世界観があり、それをフレームワークにしたいろいろな考え方がパラダイムとなって存在しています。そのこと自体を、徹底的に検証してみる必要があるのかもしれません。
2050年という未来のライフスタイルを想像し、たくさんのことが語られた最後の方で、現在の社会にある「死生観」を考える必要性が浮かび上がってきました。価値観や世界観、社会のパラダイムとなる認識を一斉にシフトさせる方法はありません。社会の各所で、一つひとつ丁寧に共有して行かなければならないのです。特に、テクニカルなことに終始してきた日本の社会では、ものごとの本質を考えるトレーニングがなされていない。けれど、どうやら放置しておくわけにはいかない大きな土台が、そこにあるのです。全貌など視界に納まらないくらい大きな土台。ビジョンラボでは、その土台に取り付いて、あちこち掘り返しながら、しばし、そこから生まれる2050年の姿を追いかけてみようと思っています。